阿佐田哲也、渥美清こそホンモノの不良! ドン底から昇りつめた昭和の超大物たち (2/6ページ)

日刊大衆

不良の群れにはいりまして。けんかだと聞くと乗り物もないのに遠くまで歩いて出かけておりました。腕っ節が強いというわけじゃございませんが、要するにそういうことが好きだったのでございます」(『渥美清 わがフーテン人生』)

渥美がこの独特の香具師(やし)口調や、『男はつらいよ』で見せる歯切れのいい啖呵をおぼえたのも上野の街だった。戦後、焼け野原となった上野で渥美は担ぎ屋としてヤミ米を扱い、テキ屋稼業に没頭した。あるヤクザ一家に身を寄せていたのはこの頃のことだ。

国民的なスターになってからの渥美は極端に私生活を見せないことで知られ、親しい友人にさえ当時のことを語ることはなかった。だがふとした時、昔の顔が垣間見える瞬間があったという。
「『男はつらいよ』のロケといえば、こんな逸話もありました。 ある地方で夜のロケをしていたとき、現場のまわりに暴走族が集まってきて、バリバリとものすごい騒音を出すもんだから、撮影にならなくなっちゃった。 (中略)もう誰が行っても止まらないぞ。となったところで、突然、渥美さんがスーッと出ていって、リーダー格みたいなやつの耳元で何かを言ったんです。すると、そのリーダー格の男は、「おすっ!」なんて言って、すぐに仲間を引き上げさせてしまった。現場にいたスタッフやキャストは全員、目を丸くして、「おい、一言で追い返しちゃったよ」って」(笹野高史『日本一の脇役が語る人生の美学 待機晩成』)

暴走族たちが気圧(けおされたのは、渥美が見せた「裏の顔」であることは言うまでもないだろう。
終戦後の裏社会にもぐった不良少年が直木賞作家に

渥美がテキ屋稼業でヤクザに身を寄せていた同時期、同じ上野の闇市界隈を伝説の「黒シャツ」を着てうろついていた少年がいた。のちに"雀聖"と呼ばれた阿佐田哲也その人である。
『麻雀放浪記』の作者として名を残す直木賞作家・阿佐田も、戦時下の中学時代にドロップアウトし、終戦とともに裏社会にもぐりこんだ不良少年の一人だった。

「敗戦直後の上野で、アベック専門の恐喝をやった。

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