阿佐田哲也、渥美清こそホンモノの不良! ドン底から昇りつめた昭和の超大物たち (3/6ページ)

日刊大衆

この手は、まっ先にとはいわないが、私どものグループがかなり早い時期にはじめたと思う」(色川武大『泥』)

当時の阿佐田は賭場では群れをなすことをせず、「黒シャツ」がトレードマークである麻雀放浪記の主人公「坊や哲」そのままの一匹狼であり、ヤクザの「代打ち」としての格は、関東でトップクラスに数えられた。この「代打ち」ランキングに10代で入っていたのは阿佐田ただ一人だったと言われている。

阿佐田はその後、裏社会から足を洗い、本名の色川武大として三島由紀夫に絶賛されて純文学作家デビュー、阿佐田哲也名義で『麻雀放浪記』を大ヒットさせ麻雀ブームの牽引役となるが、その経験はすべてこの不良少年時代に培ったものであった。

同じ戦後の混乱期、場所を移してヤクザがはびこる新宿歌舞伎町。
この場所で「中央線の鬼」と恐れられた男が、『遠くに行きたい』等のヒット曲で知られるジェリー藤尾である。人懐っこい笑顔で数々の映画にも出演してきた人気スターは、戦後の新宿で「ヤクザさえ道をゆずる」と言われた愚連隊『三声会』の用心棒だった。

ハーフとして差別を受けながら育ち、13才の時に目の前で母親が自殺するという壮絶な体験をした藤尾は、高校をドロップアウトして新宿の街をうろつきだす。そんな彼を受け入れたのが、「歌舞伎町の暴力地図を塗り替えた」と言われる伝説の愚連隊『三声会』だったのだ。藤尾はその腕っぷしを買われて17才にして会長・三木恢のボディーガードとなり、暴力団との縄張り争いで抗争に明け暮れた。

「当時の新宿はね、それぞれヤクザの縄張りがあったんですけど、愚連隊はそんなこと無関係。その組がみかじめ料をとっている酒場に乗り込んで行って、『誰の縄張りだろうと関係ねえ』と、逆に『三声会』のシマにしてしまうんだから」(ジェリー藤尾『ともあれ、人生は美しい』)

のちに出演した黒澤明『用心棒』では片腕をスパっと斬られてしまうシーンを演じた藤尾だったが、実際の修羅場では刃物相手でも返り討ちにしていた。「向こうはチェーンを持ってる。
カミソリ二枚刃は持ってる。マフラーを腕に巻く。ヤッパを持って飛びかかってきたら、マフラーを巻いたここで避ける。

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