阿佐田哲也、渥美清こそホンモノの不良! ドン底から昇りつめた昭和の超大物たち (5/6ページ)

日刊大衆



まさにジェットコースターさながらの議員人生だが、93年に引退し、タレントに転身してからも人は衰えなかった。ハマコーが政界でもテレビ界でも重宝されたのは、どれだけ悪名が高くても、近所のヤンチャ坊主のようにどこか憎めないキャラクターのおかげだろう。だが総工費1兆円を越えた木更津アクアラインを通したように、巨額の予算を手段を選ばないネゴシエーションで引っぱってくる強引な手腕は強面なヤクザそのものだった。

だが元ヤクザ出身のスターと言えば、真打ちにはやはり安藤組組長にして映画スター・安藤昇その人以外に考えられないだろう。
安藤は少年時代から手のつけられない不良であると同時に、独特の美学と男気を胸に秘めていた。

少年院時代に一念発起して予科練の試験に合格、志願したのは伏龍特攻隊、つまり人間魚雷。しかし出兵することなく、敗戦はそのわずか2ヶ月後に訪れた。失意の安藤は焼け野原となった渋谷で、戦争でバラバラになった仲間たちを集め、抗争に明け暮れることになる。闇市を取り仕切っていた中国人や在日朝鮮人と抗争を重ね、新宿のテキヤ系一家ともめれば自動小銃で殴り込みをかける安藤は、ヤクザにも一目おかれる存在となっていく。

そして1952年、「東興業=安藤組」を発足。"伝説の喧嘩師"花形敬ら500人をこす舎弟を擁して勢力を伸ばし、数々の映画や小説の題材となっているその伝説については、もはや言を待たないかもしれない。

「ドスを持つならハジキを持て。ダボシャツを着るならスーツを着ろ。 指詰め、クスリ、入れ墨は厳禁とす」「警察官すら安藤組のバッヂをほしがった」という安藤の魅力とは、従来のヤクザのイメージを一新したギャング映画さながらのダンディズムにあった。39年に安藤組を解散、映画界に転身してからもそのカリスマ性は失われるどころか輝きをおびていく。

安藤は松竹から俳優として三顧の礼で迎えられ、契約金2000万円、出演料1本500万円で契約。当時のトップスターの岩下志麻でさえ1本250万円だったといえば、その扱いの破格さがわかるかもしれない。自叙伝を映画化した『血と掟』でデビュー以来、『男の顔は履歴書』『やくざ非情史』シリーズなど主演映画は58本、若者を魅了し時代の寵児となった。
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