阿佐田哲也、渥美清こそホンモノの不良! ドン底から昇りつめた昭和の超大物たち (4/6ページ)

日刊大衆

(略)怖いお兄さんが飛びかかってきたのをさっとよけて、羽交い締めにしておいて、横から肋骨に強烈な蹴りを入れたら、ドサッと僕の前で崩れ落ちた」(同)

身長172㎝、体重65㎏。体格に恵まれているとは言いがたいが、抜群の運動神経と度胸で新宿中に名を轟かせた藤尾は、人気スターとなってからもヤクザがらみの事件に巻き込まれている。『銀座の恋の物語』の撮影中、ドスを持ったヤクザに絡まれた藤尾は、返り討ちにする。だが藤尾は逆に、過剰防衛だとして罰金刑を言い渡されてしまう。相手はなんと肋骨3本と前歯4本をへし折られ、ひん死の状態だったという。「芸能人最強伝説」を地で行く、本物のアウトローである。

そんなジェリーもイメージ商売の芸能界では暴力色を押し出さないようにしていたが、「元暴力団構成員」という肩書きを最期まではばかることなく公言していた人物がいた。
「私は単なる不良だったが、それを真人間にし、更生させてくれたのは稲川会長だ」

発言の主は、元自由民主党副幹事長にして元稲川会系組員、ハマコーこと浜田幸一である。
従来の不良のイメージを一新した男のダンディズム

幼少時代より地元千葉県のヤクザ組織に出入りしていたハマコーは、物怖じしない性格で組織トップである稲川会初代会長の稲川聖城に気に入られ、生涯心酔していた。24才の時に抗争で相手組織の組員を刺して傷害罪で収監、出所した時にも稲川を頼っている。ハマコーは稲川から"昭和の最大のフィクサー"児玉誉士夫を紹介され、運転手となったことで政治家へのきっかけをつかむ。持ち前のバイタリティで千葉県議をへて、61年には衆議院初当選をはたす。

この「政界の暴れん坊」時代こそ、ハマコーのハマコーたる由縁かもしれない。衆議院では議長を引っ張り回し、自民党40日抗争ではバリケードを前に「相手になってやるからかかってこい!」と椅子を投げ飛ばす。4億6千万円をラスベガスで溶かしたと言われるカジノスキャンダルで辞職に追いこまれるも、3年後にはすぐ返り咲き、ついには衆議院予算委員長にまで上り詰めた。だが共産党・宮本議長を「殺人者」を呼ばわりしてすぐに失職。

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