「第155回芥川賞」候補作を全部読んでガチで受賞予想してみた (3/7ページ)
読みどころ
「私」が置かれた状況や、その状況により喚起される記憶の描写の密度の濃さがこの小説の優れたところです。文章の特徴としては、感傷的な話題を扱いながらもそこに安易な感情の吐露が一切入り込みません。静かで乾いた文体で、心情を登場人物の所作や会話からにじませる技術の高さが、この小説独特の味わい深さをつくり出しています。
選考でのポイント
高橋弘希は前作、前々作についで3度目の候補入りなのですが、今回は尺の短い作品ということもあり、どうしても作品の力強さが過去作に比べると見劣りしてしまいます。
あえて欠点を挙げるなら、描写に対して高いコストを割かれているけれども、この作家は特に「書きたいもの」というものを持っていないのではないか、という評価を受けかねない点にあります。どこか習作的な印象が拭いきれないといったところが、正直なところ。
彼の類稀な描写力をどれだけ・どのように選考委員が評価するかが選考では鍵になるでしょう。
「あひる」今村夏子(たべるのがおそい 創刊号)
あらすじ
就職するために田舎の実家で資格の勉強に励む主人公の「わたし」。父が働いていたときの同僚が飼っていた「のりたま」という名前のあひるを引き取ることになり、のりたまは近所の子どもたちの興味を惹く。しかしのりたまはすぐに病気になってしまい、のりたまが病院にいってしまうと、子どもたちは主人公の家にぱったり来なくなる。
しばらくしてのりたまは家に帰ってきたが、それはどう見ても以前ののりたまとは別のあひるだった。ふたたび子どもたちはのりたまを見るために家にやってくる。やがて両親は客間を子どもたちに開放し、次第に家は子どもたちの溜まり場になっていく。