82~83歳、コラムを連載してみて...ぶらいおんの挑戦はまだまだ続く (5/9ページ)
自ら、ものを書いたり、他人様に文章を依頼し、受け取ったそれを読んでみて、それについての、当方の感想や意見を述べて、もう少し、知りたいことを書き足して貰ったり、曖昧な部分があれば、それを質して、より誤解の無い文章とする等々、編集者として要求されるようなことも、それなりに経験して来て居るので、納品した原稿について、その種の指摘がT編集長からあった時でも、その意味は殆ど一目瞭然で、書き手として納得出来る「指摘」ばかりであった、と言えよう。
仕事を行うに際しては、「年齢は関係ない」という筆者の信条は若いときから、高齢者となった今でも、全く変わらない。
年齢からすれば、T編集長と筆者との間は、半世紀ほど離れていることだろう。一般的に言っても、結婚年齢の早い家系なら「祖父と孫」という場合も有り得るだろうが、まあ、無難なところを取るなら、筆者からみて子と孫の中間辺り、が妥当だろう。
無論、筆者自身の場合でもそうするであろうが、「幾ら、年齢は気にするな!」と言い渡されても、親より高齢者となれば、言葉遣いが丁寧となるのは、これはむしろ自然であるわけだが、常にT編集長からは、余りにも丁寧で、細かい配慮を頂いていたので、筆者は暫くの間、編集長はてっきり「女性」が務めて居られるのだろう、と一方的に思い込んでいた。T編集長には、大変失礼な誤解をして、今更ながら、誠に申し訳無かった、と思う。
しかし、仕事の遂行に際しては、「年齢の高低も、ジェンダーの相違も関係ない」というスタンスを、筆者は当然、変更するつもりは無い。
「檄文」の類は別として、一般に広く発表しようとする文章は、矢張り、断定的に書いてはいけないのであろうが、自分の思いを強く主張しようとすると、どうしても、そうなり勝ちであることに、このコラム連載を通じて、改めて気付かされた。
今更言うのも「恥ずかしい」のであるが、そんなことも、この1年間の間に改めて教えられた利点の一つだった、と言えよう。
それと、当然とも言えるが、この種のインターネット上媒体、特に営業媒体では、いわゆる「炎上」を不用意に発生させないようなことにも、十分気を配る必要があったようだ。
それに関して、筆者が取り上げようとして、中止したものもある。