松坂大輔、王貞治、田中将大…夏の甲子園100年「熱闘!名勝負」 (2/7ページ)

日刊大衆

「銚子商は、積極的に作新学院に練習試合を申し込んで、江川のデータを集めていたそうです」(当時を知る元記者)

 しかし、江川を打ち崩すことはできず、0-0のまま試合は延長戦に突入。やがて甲子園に激しい雨が降ってくると、江川のピッチングが狂い始める。延長12回裏。四球、安打、四球で一死満塁となり、次の打者も3ボール2ストライクのフルカウント。この絶体絶命の場面で、江川はタイムを取り、野手をマウンドに集めた。「江川が“真っすぐ投げてもいいか”と聞くと、チームメイトは“お前の好きな球を投げろよ。俺たちがここに来られたのも、お前のおかげだから”と答えたそうです。この瞬間、江川が怪物、怪物と騒がれすぎたせいで、バラバラになっていたチームが再びひとつになったといいます」(前出の元記者)

 しかし、江川が投じた渾身のストレートは大きく高めに外れ、押し出し四球。作新学院はサヨナラ負けで、怪物・江川の高校野球は終わった。

 甲子園には江川以前にも、伝説の豪腕投手がいた。怪童と呼ばれた浪速商業のエース・尾崎行雄だ。「スピードガンのない時代でしたが、尾崎の球速は尋常ではなかった。唸るように飛んできて、浮き上がって見えたそうです」(同)

 61年の第43回大会。浪商対法政二戦は尾崎の集大成だった。尾崎は甲子園で2連敗中だった法政二に投げ勝ち、そのまま優勝した。

 伝説といえば、プロ入り後、世界のホームラン王となった王貞治も甲子園ですごい記録を残している。それは57年の第39回大会、早稲田実業対寝屋川戦でのこと。先発した2年生エースの王は9回までノーヒットピッチング。しかし、寝屋川の投手・島崎も負けじと好投し、試合は0-0のまま延長戦へ。そして11回表、早実が犠牲フライで念願の1点をもぎ取ると、王は、そのままノーヒットノーランを達成した。

「強打者のイメージが強い王さんですが、春のセンバツで3試合連続完封勝利するなど、2年生までは投手の活躍のほうが目立っていましたね」(前同) ちなみに、延長戦での無安打無得点試合は、春夏の甲子園を通しても、この1回しかない。

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