松坂大輔、王貞治、田中将大…夏の甲子園100年「熱闘!名勝負」 (4/7ページ)

日刊大衆

それから3年間、全国に大輔フィーバーを巻き起こしたが、名試合との呼び声が高いのは81年の63回大会、早実対報徳学園の試合だ。報徳学園のエース兼4番打者だった金村義明氏は、こう証言する。「前年の優勝校・横浜を2回戦で破って、次の対戦相手が前年準優勝の早実。早実を倒せば、一気に優勝まで行けるという目算はありましたし、荒木の異常人気に対するジェラシーもありましたから、絶対負けないと闘志を燃やしましたね」

 試合展開は6回まで両チーム無得点。早実が7回表に3点、8回表に1点を入れて4対0となり、金村氏は「もう負けた」と思ったという。しかし、報徳学園は9回裏に粘りを見せる。ヒットを重ねて同点とし、10回裏にサヨナラ勝ち。絵にかいたような逆転劇だった。

■桑田真澄、清原和博のPL学園「KKコンビ」

 この翌年、3年となった荒木は、最後の甲子園に出場。ここで、荒木に引導を渡したのが、「やまびこ打線」の池田高校だった。そして、その後、甲子園には池田旋風が到来。これを終わらせたのが、他ならぬPL学園の桑田真澄清原和博の“KKコンビ”だ。83年の第65回大会。準決勝のPL学園対池田の戦いでは、高校野球の新旧交代を鮮やかに見せつけた。

「エース・水野雄仁を擁する池田は82年夏と83年春の優勝校。1年生の桑田や清原がどれだけスゴイとは言っても、あんな結果になるとは思いませんでしたね」(前出スポーツ紙デスク) 猛打の優勝候補を相手に、桑田は5安打完封。打っては2ランホームランと大活躍。結果は7-0、まさに圧勝だった。

 1年生で4番としてデビューし、甲子園でその強打者ぶりを見せつけてきた清原に対し、超高校級スラッガーといわれながらも結果を残せなかった打者がいる。

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