叱られてる内が華?「武士の世」を目指した源頼朝の意識改革と、違反した御家人への悪口雑言を一挙公開 (5/7ページ)
刑部なんてガラじゃねぇだろ!」
【原文】
「音樣(こわざま)しわがれて、後鬢さまで刑部がらなし」
梶原兵衛尉景高(かじわら ひょうえのじょう かげたか)【意訳】
「合戦の時に武勲を立てたと聞いたから目をかけてやろうと思ったのに、勝手な真似でフイにしちまったなぁ(ニヤニヤ)」【原文】
「合戦の時心甲にてある由聞しめす。よつて御いとほしみあるべきの由思しめすのところ、任官希有なり」
緑亭川柳『英雄百首』より、梶原平次景高。
中村馬允時經(なかむら うまのじょう ときつね)【意訳】
「顔色も悪いし、元々バカだと思っていたが、やっぱりバカだったか。バカめ」【原文】
「惡氣色して、もとより白者(しれもの)と御覧(ごろう)ぜしに、任官誠に見苦し」
豊田兵衛尉義幹(とよだ ひょうえのじょう よしもと)【意訳】
「あの大ボラ野郎、身の程知らずに官位なんか欲しがるから、本領である揖斐庄を失うとは、哀れなヤツだ。馬允と言うが、あんなヤツに育てられる馬が気の毒だ」【原文】
「大虚言(おほそらごと)ばかりを能として、えしらぬ官好みして揖斐庄云ひ知らず、あはれ水驛の人かな。惡馬細工してあれかし」
【意訳】
「青っ白いマヌケ面しやがって、あれで兵衛尉だとよ。