【現代医学】戦国時代の鉄砲の殺傷能力は高いのか? 撃たれると鉛中毒で死亡する可能性アリ (3/9ページ)

・火縄銃の異名は「種子島」
さて、鉄砲伝来と言えば1543年(天文12年)の種子島ですが、最近はそれ以前に倭寇によってもたらされたなんて話もあります。しかーし! 火縄銃の異名が「種子島」であるように、この時期に持ち込まれた鉄砲は重要な意味を持っております。その歴史を少し振り返ってみましょう。
・銃身の底の部分が作りにくい!!
まず、種子島に漂着したのはポルトガル船ではなく中国船です。同乗していたのが南蛮人で、彼らから鉄砲2挺を買い上げた領主・種子島時堯(ときたか)が島の刀鍛冶・八板金兵衛に分解させ、その複製研究を進めました。この時一番苦労したのが、鉄砲の銃身(筒)の底の部分をどうやって塞ぐかだったようです。
・爆発の衝撃で底が吹っ飛ぶ恐怖
鉄砲で弾を撃ちだす原理は、筒の中で火薬を爆発させ、そのガス圧で鉛(弾)を的に向けて発射させるというものです。それには当然、筒の末端に相当な圧力がかかりますので、万が一、その部分に隙間があればガスが抜けてしまって威力が出ませんし、かといって爆発の衝撃で底が吹っ飛んでしまうようなヤワな作りでしたら、射手が怪我をしてしまいます。

・鉄砲の筒底を支えるネジが渡来
そこで用いられたのが「ネジ」です。実はこの筒底、ネジ(尾栓のネジ)で出来ておりました。気密性が得やすく、筒の手入れも簡単。日本でも、古くから実生活で使われていそうなもんですが、鉄砲伝来以前にはネジの記録がありません。なので、鉄砲と一緒に伝来したというのが通説となってるんですよ~。