【現代医学】戦国時代の鉄砲の殺傷能力は高いのか? 撃たれると鉛中毒で死亡する可能性アリ (8/9ページ)
・まさに勝利の立役者
そして天正12年(1584年)、直政はこの赤備え部隊を率いて小牧・長久手の戦いで大活躍し、長槍で敵を蹴散らす姿が『井伊の赤鬼』と恐れられます。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでも東軍の軍監に任命され、指揮の中心となる一方、諸大名を味方に引き込む工作も行い、まさに勝利の立役者となりました。
・関ヶ原での銃創が癒えぬまま41歳で死去
しかし、ここで思わぬ不幸が彼を襲います。後に「島津の退き口」として戦国ファンをワクワクさせる島津義弘を追撃した際、敵軍の弾丸が右腕に当たり落馬。大きな負傷をしたにもかかわらず、その後も戦後処理に注力し、徳川幕府の基礎固めに尽力しました。そして慶長7年(1602年)2月1日、長年の過労と関ヶ原での銃創が癒えぬまま41歳で死去したのであります。
・敗血症で死んだという説
一説に死因は破傷風というものもありますが、同病の潜伏期は3日~3週間です。関ヶ原の合戦から1年半後、その傷からの破傷風が原因で死ぬというのはかなり無理があります。敗血症で死んだという説については血液中に菌が入れば何でも「敗血症」ですから面白くありません。面白くないというのは医学的な考察ですので悪しからず。以前から私が気になっていたのが「鉛中毒」説です。
・弾丸からジワジワと鉛が溶け出す恐怖
鉛は重金属の一種で、一時的に多量摂取すると急性中毒になり、少しずつ蓄積していくと慢性中毒をおこします。鉛中毒は塗料や不適切な釉薬などから起こることが知られていますが、体内に鉛弾がある場合はそこから溶け出し発症するケースも。症状は腹痛・嘔吐・麻痺・感覚異常症など様々で、さらには貧血、免疫系の抑制、腎臓への影響なども引き起こします。
・狩猟用に鉛を使うことが禁止されつつある!?
直政がだんだん弱っていく様子が想像できませんか? 鉛中毒を悪化させないためには、鉛をそれ以上摂取しないことが大切です。しかし体内に鉛弾が残っていては、どうにもならず悪化の一途です。