【現代医学】戦国時代の鉄砲の殺傷能力は高いのか? 撃たれると鉛中毒で死亡する可能性アリ (7/9ページ)

・井伊直政は関ヶ原で撃たれて1年半後に……
徳川四天王の1人に数えられる『井伊直政』は、関ヶ原で負った銃創が元で亡くなったと伝えられます。負傷から死亡までは約1年半、さて原因は何だったのか。直政の半生と共に、その謎へ迫りましょう。
・直盛が桶狭間の合戦で死去
井伊直政は、遠江国(静岡県の西側)の井伊谷を治めた井伊家の第24代宗主で、戦国時代の前半、同家は今川義元に仕えていました。直政の父・直親は傍系でしたが、当主であった直盛の養子となり、直盛が桶狭間の合戦で死去した後に井伊家の宗主となります。
・大河ドラマ主人公の「井伊直虎」
しかし、父は謀反の疑いを掛けられ謀殺されてしまいます。その時、直政はまだ2歳であったため直盛の娘かつ直親の婚約者であった女性が一時的に井伊家宗主となります。この女性こそが、来年の大河ドラマ主人公の『井伊直虎』となります。

・徳川氏と北条氏の和睦交渉を担当
直虎の計らいで家康に見出された直政は、家康の小姓に取り立てられ武田氏との戦いで活躍。武田滅亡後は徳川氏と北条氏の和睦交渉を担当しました。徳川氏が甲斐、信濃を領土とした際、直政の部隊には旧武田家臣団が数多く組み込まれました。ここで出来たのが『井伊の赤備え』部隊です。元は武田家の山県昌景が率いたことでも勇名を馳せておりましたね。