田中角栄よりスゴイ! 歴代総理大臣「豪快秘話」 (2/5ページ)

日刊大衆

明るい顔をしろ!”といったべらんめえ調のスピーチが得意で、よくも悪くも、口は悪いけど優しい“下町のおじさん”なんですよ(笑)」(同)

 吉田元首相の後、首相となった鳩山一郎氏は、吉田路線からの変革を目指していた。古参の自民党関係者が明かす。「鳩山先生は組閣後、側近を集め、“僕は多くの政策は君たちの言う通りにする。ただ、改憲とソ連との国交回復、この2点については僕についてきてほしい”と決意表明したといいます」

 政策は異なったものの、吉田、鳩山両元首相は、現在の自民党に続く派閥の二大源流になっている。「吉田派の流れを汲むのが宏池会(岸田派)、平成研(額賀派)、鳩山派のほうは清和研(細田派)がその系譜に連なります。虎は死して皮を残す……両者とも傑物だった証明でしょう」(前同)

 1956年の日ソ共同宣言でソ連との国交を回復後、内閣総辞職して政界を引退した鳩山元首相は、たすきを秘蔵っ子だった石橋湛山氏に託した。「鳩山首相引退後の総裁選の大本命は岸信介でした。そこで、2位の石橋は3位の石井光次郎と共同戦線を張ったのです。結果、見事、岸を破り首相の座を射止めていますが、これは石橋の参謀だった石田博英の存在が大きかった」(政治評論家の浅川博忠氏)

 石田氏の名は「博英=ひろひで」だが、その類いまれな博才から、周囲はそれを音読みし「バクエイ」と呼んだ。新聞記者から政治家になった石田氏は麻雀がめっぽう強く、「スエズ運河以東で一番」を自称していた。女性にもモテまくり、銀座では顔だったという。

 そんな男が惚れたのだから、石橋元首相の器量は相当なものだったのだろう。次に首相となった岸信介氏は戦後、A級戦犯に指定され、一時収監されていた人物(のちに不起訴)。「戦中の東條内閣で商工大臣を担当していた岸先生は、東條さん相手にも臆せず意見を述べたことで知られます。憲兵隊が大臣官舎に押しかけて、軍刀を突きつけられたこともありますが、“黙れ、兵隊! お前らみたいなのがいるから、最近東條さんの評判が悪いんだ!”と一喝し、追い返したというエピソードもあります」(前出の党関係者)

 豪胆で聞こえた岸元首相だが、悲願の改憲だけは成し遂げられなかった。

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