残暑お見舞いは心霊写真。信憑性が高いと言われている17の写真 (11/12ページ)
コンクリートを削り、複数の男性で動かさなければ、動かないほどの石戸であった。
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トーマス卿を埋葬する際にこの石戸を開けると、なんと中にあった棺が全て動いていたという。だが価値のありそうなものが取られた痕跡はなく、墓荒らしの可能性は排除された。
人々は不審に思ったが、棺は元の場所に戻され、トーマス卿が埋葬されると、再び入り口をコンクリートで封印した。
4年後の1816年、チェイス家の親戚、サミュエル・ブリュースター氏が黒人奴隷たちの反乱で命を落とした際、墓所が再び開けられた。するとあろうことに、また棺が動いていたという。トーマス卿の棺は約109キロもあるのにだ。今回は外から無理やり開けられた痕跡もないことを確認していた。
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さらに1819年7月に再び墓所が開けられると、トマシーナ・ゴダード夫人を除くすべての棺が散乱していた。その頃には、動く棺のことは島中に知れ渡っており、多くの見物人に加えバルバドス総督コンバーメア卿までが見物に加わった。
このコンバーメア卿こそ、リストの2位で紹介した人物である。コンバーメア卿は墓所の徹底調査を命じたが、不審な点は1つも浮かび上がらなかった。棺を元通りに並べ、侵略者が入ったら足跡が残るように床には砂がまかれた。
1820年4月18日、コンバーメア卿が興味本位で墓所を開けるよう命令を下し、石戸を開けてみるとなんとまた棺がバラバラに動いていたのだ。
中には逆さになっている棺まであり、壁にも叩き付けられた跡が残っていた。しかし、入り口の封印は塞がれたままであった。砂の上には足跡の痕跡も残っていなかった。