なぜ中東では争いが絶えないのか?中東に関する10の歴史的事実 (3/8ページ)

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 当時、スンニ派は偶像崇拝禁止のような、禁止行動事項の膨大なリストを持っていた(シーア派は偶像崇拝には寛容)。ワッハーブは、こうした規範をもっと厳しくするべきと考え、破った者は背教者とみなした。つまり、コーランは背教者の殺害を許可しているという解釈をしたのだ。

 ワッハーブの考えはスンニ派の間で広まり、サウジ王室(スンニ派)はワッハーブ伝道者たちと同盟を結ぶことにした。まだ産声をあげたばかりのサウジ王室を承認してもらう見返りに、潤沢な資金を提供して、ワッハーブ派を後押しすることを約束した。

 この契約が功を奏し、サウジ王室は、強大なサウジアラビアの支配者になることができた。しかし、これはまた、サウジ王室が危険で超保守的なイデオロギー地獄にはまっていく結果になった。彼らがこの同盟にがんじがらめになり始めるのは時間の問題だった。



■ 7. 第一次世界大戦後に引かれた地図上の境界線


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 何世紀もの間、スンニ派主流のオスマン帝国は中東の野獣だった。カリフの位の継続という流儀をまねた強大な力で、中東をまとめあげた。

 そこに第一次世界大戦が始まった。

 この戦争はヨーロッパにとってかなりの打撃だったが、オスマントルコにとっても災禍そのものだった。この戦争が原因で、オスマン帝国はひと晩にして消滅してしまったのだ。連合軍のパワーが中東を分割し、地図上に新たな線引きがなされ、トルコ支配の騒乱から、シリア、イラク、その他の新たな近代国家がおこった。

 問題は、これらの新興国家が相いれない人たちで構成されていたことだ。シーア派とスンニ派はいっしょくたにされて、ただ仲良くやるように言われ、クルド人、キリスト教徒、ヤジディ族、その他の人種が各国に広く浅く混在していた。本質的に、多民族がひしめくミニユーゴスラビアがたくさんできたような状態になってしまったのだ。
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