なぜ中東では争いが絶えないのか?中東に関する10の歴史的事実 (4/8ページ)
だがユーゴスラビアと同様、好景気が続き民族間の緊張がない時に限り、うまく機能していた。
■ 6. CIAの介入を受けるイラン
こうした情勢の中、最後の役者が出番を待っていた。1941年、ヒトラーびいきのイラン国王が連合軍によって退位させられたのだ。これにより、束の間の民主主義との蜜月が起こり、結局これが民族間のさらなる緊張へと続いていくことになった。
連合国側にとっては、イラン国民が民主主義を試そうとしているのを見るのは喜ばしいことだったが、彼らが民主主義的に選んだ人物は気に入らなかった。
モハンマド・モサッデクは、親民主主義、反イスラムの俗人だったが、たまたまマルクス主義者だった。モサッデクはイギリスとつながるアングロ・ペルシャ系石油会社を国有化した。イギリスがアメリカに泣きつくと、アメリカは策を弄してモサッデクを排除し、国王の息子(パーレビ)を後釜にすえた。
しかし、新王は父親と同じような堕落した独裁者だった。民主主義は弾圧にすぎないと気づいたイラン国民は別の方法で革命を断行しようとした。そこで駆り出したのが、地位を追われていたシーア派の強硬路線派伝道者(ホメイニ)だった。
■ 5. サウジアラビアの内部紛争
サウジ王室は危うい均衡の上に立っていた。1970年代、ワッハーブ派はますます過激な思想に傾いていた。そのアンチシーア派、ジハード好きのイデオロギーは、中東じゅうの不満分子たちを惹きつけ、スンニ派対シーア派の緊張を逆なでした。ここから、アルカーイダが台頭することになる。