なぜ中東では争いが絶えないのか?中東に関する10の歴史的事実 (2/8ページ)

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■ 9. スンニ派とシーア派の何世紀にもわたる不和


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 そうはいっても、ふたつの宗派は最初はなんとかうまくやっていた。スンニ派のカリフが3人出た後、4番目のカリフはシーア派のアリがなることで意見が一致していて、みんながうまく幸せにやっていた。

 アリが死ぬとその息子が後を継いだが、シーア派のカリフはアリひとりという約束だったので、スンニ派はその息子を無理やり退陣させた。この事件が、その後1400年にわたる争乱の歴史の口火を切ることになる。

 アリの息子をカリフから引きずり降ろされたシーア派は独自の階級を作り、カリフより上のイマーム(最高指導者)という階級を作り上げた。イマームはアリの血統だけしか認めなかった。

 ふたつのシステムがかろうじて共存することもあったが、そうでないときはシーア派が迫害された。16世紀、オスマントルコが4万人のシーア派を虐殺し、のちのインドのムガール帝国の皇帝たちは、シーア派の学者を生きたまま火あぶりにした。さらに時代は下り、英国の植民地主義者たちがスンニ派の民兵を雇って、イラクでのシーア派の反乱を抑え込んだ。

 当然のことながら、シーア派の積年の恨みは鬱積し、歴史が示しているとおり、その怨嗟が次々と爆発する傾向にある。



■ 8. 悪魔と取り引きしたサウジアラビア


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 スンニ派・シーア派問題が渦巻いている一方で、18世紀のイスラム改革運動の先駆者イブン・アブドゥル・ワッハーブの行動が常軌を逸するようになった。
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