なぜ中東では争いが絶えないのか?中東に関する10の歴史的事実 (7/8ページ)
そのプロパガンダはモスクやテレビを通して、戦闘のないほかのイスラム国へも流出し、またしても、スンニ派とシーア派の分裂という昔の争いが、中東情勢の最前面に出てくるようになった。
新たな分派の闘争が中東全体で勃発し、どちらの側にもつかない地域のスンニ派やシーア派にとって厳しい時代となっていった。同様にして、イギリスでもアイルランドの問題がプロテスタントとカトリックの抗争に油を注いでいた。こうした争いは、昔の宗派分裂抗争を増幅させ、生死にかかわる問題となっていった。
アラブの春が起こったとき、独裁者が倒れ、戦闘が勃発し、古い観念が崩れた。それでもイランやサウジは新しいリーダーが現われるのを阻止しようとした。こうした両国のあがきが、ついにシリアで頂点に達した。
■ 1. 地獄へ向かうシリア
2011年には、昔からの宗派争いは重大な局面に追い込まれていた。ジハード戦士は最終戦争に備え始め、サウジ・イランは致命的なチキンレースに突入して、すべてを破壊することさえ辞さない構えだった。そして、シリアが内部崩壊した。
すべてはここにつながっていたかのようだった。サウジはこれを親イランのシーア派独裁者アサドをつぶすチャンスと見た。イランは、すぐ目の前でサウジにスンニ派の隷属国を確立させるわけにはいかないと感じた。アサドが自国民に毒ガスを使っても、西側諸国が静観していたため、多くのスンニ派はアメリカやヨーロッパはシーア派イランを支持していると確信した。
長年、世紀末的なワッハーブ派の教えを吹き込まれていたため、スンニ派はすぐに集結して、ISのような力をもつ集団になった。
結果的に中東地域は、党派同盟の混乱、危険な権力闘争、二大国が安易に古臭い分派思想を利用して自分たちのシナリオを押しつけるという混迷状態に陥り、以前よりもさらにバラバラになってしまった。