ヘルマン・ヘッセが敢えて母親の臨終に立ち会わなかった理由 (2/7ページ)

心に残る家族葬

夜中に大声で悲鳴を上げながら悪夢から醒めると、黙ったまま震えながら、ジャッカルの遠吠えに聞き耳を立てていた」と書き残している。

そのようなマリーは息子のヘルマン同様、誰に言われるともなく、「自分の感情を言葉で表現したい」欲求が強かった。そのため、日記や手記の中で、宣教師の親から受け継いだ、神への思いのみならず、隠しておきたい心の秘密を詳細に打ち明けたり、時に詩を書いたりもしていた。しかしマリーは、厳しい父親に静かに服従し、心の内奥に湧き上がる「芸術的な感性」を隠すことを選んだ。

結婚、出産、最初の夫との死別、インドで医学を習得し、医師として宣教団で働く選択をしなかったこと、ヘルマンの父、ヨハンネス・ヘッセとの再婚、出産、大病…など、人生の節目節目で出会う悲しみや挫折に加え、生来の繊細な心ゆえの葛藤に苦しみ続けることになる。しかし本心を抑圧し、よき妻・よき母・よきキリスト教徒としての生き方や考え方は、マリーが60歳で死ぬまで変わることはなかった。

■幼き頃のヘルマン・ヘッセ

ヘルマンは、マリーの2人目の夫、ヨハンネスの2番目の子どもとして生まれた。マリーの気質をそっくり受け継いだ格好のヘルマンは、夜ごとの悲鳴、怒り狂ったような反抗の態度、意固地に自分の殻に閉じこもっていたかと思えば、ずっと泣き続けるなど、ヘッセ一家の「悩みの種」だった。

マリーもヨハンネスも、ヘルマンに深い愛情を注いだものの、甘やかすことはなく、厳しく、どこか突き放すような態度で接することもあった。ヘルマンが3歳の頃、家族で近在の廃墟に出かけた。一番高いところにたどり着いたとき、急にヘルマンは、眼下に広がる広大な平野、そこに点在する小さな町や村、道や川を「見てごらん!」と抱え上げられたのだ。子煩悩な若い叔父に、悪気は全くなかった。しかしヘルマンにとっては、叔父の両手は震えているようで頼りなく、奈落の底に突き落とされる恐怖しか感じなかったのだ。家に帰り着くまでヘルマンは、泣き通しだったという。

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