ヘルマン・ヘッセが敢えて母親の臨終に立ち会わなかった理由 (6/7ページ)
しかしヘルマンの場合は皮肉にも、その苦悩もまた彼自身の創造力の源でもあったのだ。
親子関係の歪みによって、子どもが精神的に苦しむこと、そしてその苦しみを成人後も引きずってしまい、社会生活に多くの齟齬を生じさせてしまうことに関し、「愛着障害」と定義づけ、研究を重ねている精神科医の岡田尊司は、「母親が決して認めようとしなかった作家ヘルマン・ヘッセは、多くの読者から熱狂的に受け入れられ、支持された」。そしてそれは、「母親にそっぽを向き、母親を拒否したからこそ手に入った成功」として、ヘッセの作品には、「まさにヘッセの苦しみと生き方が描かれていた。母親の死によってさえも、自分の領分が侵されないことを自ら示すことで、ヘッセは自分の文学を打ち立てることができた」と論じている。
■最後に…
親の臨終にあえて立ち合わない、葬儀にも出ないことは、言うまでもなく「非常識」で、「いまだに親戚から親不孝と責められる」ことだろう。国や時代や宗教が異なるとはいえ、ヘッセもそれを十分にわかっていた。だからこそヘッセは、「生きておられたころよりも今の方がはるかに強く、お母さんがいらっしゃるということを心のなかで感じていますので、お墓に訪ねていく必要はないのです」と、家族に書き送りつつ、自分自身を納得させていたのだ。もしもヘッセが母の臨終に立ち合い、葬儀に出ていたら、声楽家になる夢が破れた異父兄、あるいは母・マリーと同じように、終生、自分の心の欲求を抑圧し、人生そのものを諦めた日々を過ごすことになっていたかどうかは、わからない。がしかし、当時のヘルマンはそう思っていた。「文学者」や「芸術家」は時に普通の市民生活を送る我々の目には、「非常識」に映ることを行ったり、そうした行動や思考方法によって、市民生活を送る人々が考えもつかない作品を生み出しさえする。それゆえ、「常識」「信仰」などの観点から、ヘルマンを責めることは酷だと筆者を考える。身内や世間の誰よりも、ヘルマンは自身を責め、苦しみ、後悔していた。そして同時に、憂鬱な気分のまま、そしてそこから極端に感情が揺れ動き、自分自身の心のふるさとに安らぎ、高揚した気分で作品を残した。そんな彼の作品は、世界中の人々に今なお愛されている。