ヘルマン・ヘッセが敢えて母親の臨終に立ち会わなかった理由 (5/7ページ)

心に残る家族葬

あれ以来ずっと気落ちしたままです…(略)…亡くなったという知らせを受け取ってからというもの、あまりにもひどく感覚が麻痺してしまい、疲れ果ててしまっているので、鋭い痛みの他は何も感じないのです。その上、この何週間かはママのために解放されることをあまりにも強く願っていましたので、心から悲しむとともに、ママが静かに神のもとにお帰りになったことを喜ぶこともできたのです。それに、あれ以来ぼくはいつでも、ママを失ってしまったわけではない、ママはいつでもぼくたちのそばにいて、やさしく慰めてくれる、と感じています」とある意味「正直」な言葉を書き記した。

この年を境に、ヘルマンは詩人・作家としての成功に邁進することになる。

■ヘルマン・ヘッセが亡くなった母のことについて追悼した詩

後にマリーのことを「わが母に(Meiner lieven Mutter)」という詩においてこのように記し、追悼している。

  お話したいことがたくさんありました。
  私はあまりに永く他郷にいました。
  しかしそれでも、あなたはいつも
  いちばんよく 私を理解してくれた人でした。

  前々からあなたに上げたいと思っていた
  私の初めての贈り物を
  このおどおどした子供の手に持っている今、
  あなたは目をお閉じになりました。

  それでこれを読んでいると
  不思議にも胸の痛みが忘られて行くようです。
  なぜかといえば、あなたのたとえようもなく寛大なお心が
  千の糸で私をとりまいていますから。
  
詩の中の「私の初めての贈り物」とは、自費出版ではなく、職業詩人として初めて依頼された『詩集』のことだろう。

■母親から認められることがなかったが、逆にそれが成功の原動力となった

ヘルマンが母の臨終に立ち合わなかったこと、そして葬儀にも出なかったことは、自分で決めたこととはいえ、結婚、離婚、再婚、離婚、2度の世界大戦、ノーベル賞受賞などの流転の人生を経て85歳で亡くなるまで、終生ヘルマンにとって悔やまれることとなった。

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