ヘルマン・ヘッセが敢えて母親の臨終に立ち会わなかった理由 (3/7ページ)

心に残る家族葬

そうしたある種の「トラウマ体験」が心の根底にあるヘルマンは、牧歌的な思い出、例えば母親の褐色の髪、優しくなだめる父親の声、マロニエの木々を吹き過ぎる風の音、牧草地に咲き乱れるツリガネソウの花、土地の言葉で歌われる民謡…などへの心からの愛着と同時に、自分は罪深いため、神様から赦しが与えられず、心地いい場所や母親から引き離されるのではないか、という不安との両極に絶えず揺り動かされるようになっていった。 

■13歳で詩人になることを決意したヘルマン・ヘッセ

そのようなヘルマンだったが、13歳の時には、「詩人以外の何者にもなりたくない」と決意する。それは、ヘルマンの年の離れた異父兄が薬剤師の仕事を辞め、声楽家になる夢を叶えようとした。しかしほんの数ヶ月で、才能がなかったことを知らしめられ、元の仕事に戻ることになった、という「事件」に遭遇したことも大きいだろう。

ヘルマンは自身の決意を堅固に守り通し、詩人としての一生を全うすることになった。とはいえ、それまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。文学や詩を愛し、自らそれを書き記したヘルマンだったが、しばしば白昼夢にふけったり、時に癇癪を起こして、手がつけられなくなるような気質はますますひどくなっていった。難関とされる学校に合格するも、半年でドロップアウト。自殺未遂、精神病院への入院など、両親にとって、ますます精神的に負担になる存在になっていった。

■21歳に初めて詩集を自費出版したヘルマン・ヘッセ

自分自身、そして家族や周囲との葛藤を生きる中、書店員の職を得たヘルマンは、21歳になったとき、『ロマンチックな歌(Romantische Lieder)』を自費出版した。世間から大きな注目を浴びるほどではなかったが、「自分の本」ができたことは、ヘルマンに大きな充実感をもたらした。しかし母・マリーは、ヘルマンの詩集に対し、激しい拒絶感を表した。

マリーは自身が若い頃に書いた、深い信仰心を歌った詩と比べ、ヘルマンの詩は、放埓で世俗的、敬虔さを欠き、罪深く、正気の沙汰ではないようにさえ見えた。そこでヘルマンは母に対し、「信じてください…お母さんの判断とこまやかな感性には心から尊敬の念を抱いています。

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