ルノー=日産アライアンスが世界販売台数で初の首位を獲得。これまでの名車を振り返る (7/8ページ)

イキなクルマで

また今年行われた改良で運転支援技術「プロパイロット」が装備されるなど、最先端の技術を装備しているのも特徴です。

■現代のミニバンを先取りしたプレーリー

まだミニバンという概念がなかった1982年に「びっくり BOXY SEDAN」というキャッチコピーで誕生したクルマが、プレーリーです。開発は旧プリンス主導で行われ、開発主管としてのちにR32型GT-Rなど多くの名車を生み出した伊藤修令が指揮を執りました。3列シートや高いスペース効率を実現した低床構造など、現代のミニバンに通じる仕組みはこの時生み出されます。時代を先取りしすぎた面があったためヒット車種とはなりませんでしたが、その後も2度のモデルチェンジを経て2004年まで販売が続けられました。現在は、マツダ・プレマシーのOEM車であるラフェスタがその座を受け継いでいます。

■社会現象にまでなったシーマ

1980年代半ばのプラザ合意に端を発した、未曽有の好景気。その最中の1988年、一般オーナー向けの最高級車として市場に送り出されたのが、シーマです。セドリック/グロリアの上級車種として企画され、トヨタ・クラウンの対抗策という側面も持っていました。折しも時代はハイソカーブーム真っ只中、ユーザーの上級志向も高く、一躍大ヒット車種へと登りつめます。この様子は「シーマ現象」ともいわれ、その年の流行語大賞にもノミネートされたほどです。ただこの勢いはバブルが崩壊するとともに弱まり、代が変わっても初代ほどの輝きは見せられませんでした。現行モデルは、フーガをベースとする4代目となります。

■強い個性を発揮したパイクカーphoto by 韋駄天狗(CC 表示-継承 3.0)

1980年代の日産車といえば、強烈な個性を発揮したパイクカーたちの存在を忘れてはなりません。大量生産では得られない「とんがった」クルマづくりを目指したこれらのクルマたちは、大規模な市場調査を目的とした「実験」的側面も見受けられます。まず1987年に、Be-1を発売。これまでにないユーモラスなフォルムから、高い人気を誇りました。その後1989年には、パオを発表。

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