アダ・ブラックジャック。北極遠征隊に加わり極寒の島に置き去りにされ唯一生き残った奇跡の女性サバイバー物語 (8/9ページ)

カラパイア

だが、孤独は最悪の体験だったことだろう

・息子との再会を果たす

 遠征隊の悲劇のニュースが広まると、マスコミは彼女を英雄としてかつぎあげ、その勇気を褒めたたえた。

 自分が話題の中心になっていることに気づいても、慎ましやかなアダは、注目され、英雄扱いされることを極力避け、息子を家に連れ帰らなくてはならないただの母親だとあくまでも主張した。

 アダは自分の稼ぎを使って、ベネットと再会した。しかし、その金額は約束よりも少なかった。ヴランゲリ島で過ごしていたときから、シアトルの病院での息子の結核治療法を探していたためだ。

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ロサンゼルス・タイムスの記事に出たアダと息子
image credit:(East Carolina University

・晩年のアダ

 のちにアダは二番目の息子ビリーが生まれ、アラスカに戻ってきた。こうしたハッピーエンドにも関わらず、アダのその後の人生は悲しみと貧困のうちにあった。

 ステファンソンらが、遠征の悲劇話が注目されて利益を得ていたのに対して、アダには一銭も金が入らなかったのだ。さらに後になって、アダが冷淡にもナイトの介護を拒絶したと言われて、その人格を中傷された。

 ベネットの健康も完全に回復することなく、1972年に58歳で脳卒中のため死んだ。アダはおよそ10年後、息子の後を追い、85歳でアラスカ、パーマーの老人ホームで亡くなった。アダはベネットの隣に埋葬されている。
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