火星人はいる。1920年代、火星人女性と電信でコンタクトしようとしたロンドンの弁護士 (3/6ページ)

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「ドクター・マンスフィールド・ロビンソンは、このことに相当入れ込んでいる。彼からまた別のメッセージを送ってくれと言われるかもしれない」とメモにはある。
「こうしたことで料金をとることにわたしたちの良心が咎めるとは思えない。彼は完全に正気で、火星との通信の可能性の研究に生涯を捧げているように見えるからだ」
1926年10月27日夜11時55分に予定された電送は、ロビンソンに要求されたとおり1万8240メートルの波長を使って行われた。
そこには、「Opesti、Nipitia、Secomba」という3つの言葉が含まれていたが、意味は不明なままだ。

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電信機を持った郵便局の職員が待機して、ロビンソン曰く火星人が好んで使うという波長3万メートルに合わせたが、残念ながら応答はなかった。
・1928年に再び電信チャレンジ
諦めきれないロビンソンは火星が再び地球に接近するのを2年間待ち、1928年10月に再度チャレンジした。
今回も、郵便局はロビンソンのメッセージを送るのを引き受けた。残されているメモによると、その理由は「おもにラグビー放送局を無料で宣伝するため」だったという。
職員たちは、マスコミ報道されれば、広告代に金を使うよりもよっぽど効果的に通信料金を引き上げられると判断したのだ。