【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第11話 (4/6ページ)
「つるっと転ばねえでくだせエよ」
「つるっと行った時に支えるのが直坊の役目でしょう」
「仕方ねエやなこの人は」
直吉が破顔すると体格に似合わぬ可愛い八重歯がこぼれた。
みつが直吉の肩を借り、はたりはたりと下に降りた。
直吉は若い衆の中でも一番背がすらりとして、様子がいい。
みつが六寸もある三枚歯を履いてようやく肩に手が置きやすくなるというほどに、直吉は上背があった。
紫野花魁が直吉の肩に繊手を添え、静かに引手茶屋に向かう姿は、浮世絵から抜け出したようだと人は口々に噂した。
この日も見物人の感嘆の溜め息に包まれながら、みつは直吉の肩に手を添え、禿に番頭新造、そして振袖新造の美のるを率いて引手茶屋に向かった。いつものように番頭新造が茶屋の花色のれんをちらりと分けて「もしえ」と女将に声を掛ける。後からみつが顔を出すと、
「紫野花魁!お客はんがこちらでお待ちですよ」
肉置きの豊かな茶屋のお内儀の案内で、みつは座敷に通された。
「紫野でありんす」
角行燈の仄明るい中で顔を上げると、座敷にはいつも通り結城揃えの上等な形をした佐吉が、朱塗りの猫足膳に銚子と硯蓋を据えてにこにこしていた。その横で同じ膳を据えた初見の中年の男が「近江屋紋彦です」と名乗った。
皺深い目尻を下げて優しげな雰囲気の旦那である。髷の貧相さを見る限り軽く五十は超えているだろう。
いつもは下ろされている青簾も、今日はすっかり巻き上げられて満月がすこんと手に取るようによく見える。