【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第24話 (3/9ページ)
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「なんでえ、使いっ走りのお駄賃にそれ、見せてくだせえよ」
「駄目よ」
猫が男を不愛想に一瞥し、するりと紫野の傍をすり抜けてどこかへ出て行った。
「チェッ」
直吉は仕方なく頼まれていた本を懐から出して、紫野に手渡した。黄表紙を何巻か集めて綴じたその表紙には美しい女が描かれていて、端に「傾城水滸伝」とある。紫野はほっそりした指でそれを受け取り一言、
「温かいね」。
「懐で温めておきやしたから」
「そういえば秀吉公は、主の草鞋を懐で温めたんだっけ」
「俺が猿だって言いてえんですかい」
「違うよ。直坊、いつもありがとう」
皮肉っぽい直吉の口ぶりにも、紫野花魁は優しい言葉で素直に返してくれる。
何だかむず痒くなった直吉は頬を掻いて、
「そりゃあ、俺アね」、
と半分照れながら言った。
「花魁の言う事ア、何でも聞きますよ。直吉の直は、素直の直ですから」
「頼もしいね」
へへ、と直吉は笑って鼻をこすった。
「あたしが読んだら、直坊にも貸してあげるよ。これ」
「ありがとうごぜえやす、花魁」
紫野は、直吉の事を直坊と呼ぶ。確かに出会った時直吉はまだ八つ、細くてちっぽけな子どもだった。火事で家も二親も失い、食うにも寝るにも困った。身一つで浅草の口入屋に飛び込み、何でもしますと拝み倒してようやく拾ってもらえたのがこの吉原の岡本屋であった。