【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第24話 (7/9ページ)
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ちなみにこの猫は今も紫野の傍にいる猫である。そして数年前、紫野にとって最大の影響力となる本との出会いをもたらしたのも、この直吉であった。
・・・・・・
「新造」、
と当時直吉は紫野の事をそう呼んでいた。
「これ、俺が一番好きな本」。
部屋の中で一緒にいても、つまらないつまらないとぼやいてばかりの紫野に直吉が手渡したのは、先述の曲亭馬琴の読本「新編水滸画伝」だった。「傾城水滸伝」の先駆けとなった作である。
基礎は唐国の小説「水滸伝」だが、馬琴が江戸の庶民にも分かりやすく丁寧な補足訂正を行い、更に当時読本挿絵で評判だった葛飾北斎が挿絵を描いた。明快な文章に細やかで工夫の凝った挿絵付きとなれば、面白くないはずがない。
「女が読んで面白いものじゃアねえとは思うが、新造は人よりちょいと変わっているからね、ひょっとするってえと、日頃の憂さ晴らしになるかもしれねえ。つまらなければ、またすぐ別を用意するよ」
「ありがとう」
この時直吉は、紫野がまさか自分より深く水滸伝の世界に魅了されてしまうとは思いもしなかった。次に紫野に会った時、紫野は既に「新編水滸画伝」の初編を読了していた。
紫野が枕に肘を付き、はあ、と深い溜息を付いたので、
「やっぱりつまらなかったでしょう、新造」
直吉が訊くと、
「史進って、格好良いよねえ」
予想とまるで反対の答えが返ってきて、直吉はひっくり返りそうになった。
「新造、もしかして」、
「直吉、あたし、史進に惚れちゃった」。