【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第32話 (7/8ページ)
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枝垂れ桜の花の陰翳(かげ)で、二人は静かにくちびるを重ね合わせた。
葛飾北斎「鷽 垂桜」ボストン美術館蔵
夢中だった。
「時」はきっと、誰の前にも平等である。
二人が生まれる遥か昔からそこに横たわっており、そして二人が死んだ後も恒久的にそこに横たわり続けるのであろう。
たとえば今はもう誰にも覚えのない幾星霜も昔、この吉原仲之町のまさにこの土の上で、誰かが同じようにくちびるを吸ったかも知れない。
それは、今となってはもう当の二人にしか分からない事だ。
知られずに消えてゆく贅沢というのが、世の中には確かに在る。
地味な羽織の裏を贅沢にするとか、そういう事より更に秘匿された、二人の胸の内にしかないとろけるほど優しい記憶。
そういう贅沢である。
その、誰かの胸の内に仕舞われたままの無数の贅沢な時の積層の上で、二人はくちを吸った。
木の葉を濡らす月光のようにさらさらと、白銀の花びらが二人の肩口に降り注ぐ。
その姿は雲母(きら)で摺りあげた錦絵のように大切で、美しく尊いものに思われた。