中森明夫と宮﨑勤の〝罪と罰〟(ロマン優光) (3/8ページ)

ブッチNEWS

竹熊健太郎の発言によりますと、「サブカル」という言葉を「サブカルチャー最終戦争」(『SPA!』1991・12・25)という記事の中で最初に媒体で使った人なのですが、単にサブカルチャーの略語として使ってるだけなんですよね。記事自体も今読み返すと、山崎浩一と二人で「ボクだってそうさ。だからここがサブカルチャーなんだ。」とかなんか内容のないことを語って煽っているだけで今の感覚で読んでみるとその寒さに驚きましたけど、当時としてもどうだったんでしょうね。
 現代のサブカルというのは結局なんだかんだで何らかの作品に対してアプローチしていくものなのですが、実態のないサブカルチャーという理念だけをグルグル振り回して人を煙に巻いて商売している業界人っていう感じですね、中森明夫は。

 私が中森明夫という人物を認識したのは中学3年生の時、『東京トンガリキッズ』の連載を通してでした。それぐらいからパンクロックやNWといった音楽を聴き出した私は内外のそういうバンドの情報に飢えていて色んな音楽誌を読んでいたのですが、『宝島』もその中の一つでした。ちなみに同時期に定期購読していたのは『ファンロード』です。
 音楽関連の情報を目当てに読みだした『宝島』ですが、のちのサブカルに繋がるようなコラムや漫画にも目を通すようになります。その一環として読んでいたのが『東京トンガリキッズ』なわけですが、本当に大嫌いでした。「若者にも、音楽にも不案内なダサいおじさんが勘違いした想像で書いてる。」というのが当時の私の感想です。
そんなにイヤならば読まなければいいじゃないか。」と仰る方もいるでしょう。でも、どうしても読んでしまうのです。今度はいったいどんなダサくてひどい話が書かれているのだろうと思うと、ついつい読んでしまい、毎回のごとく、文句を言っていました。多分、連載が終わるまで言い続けていたと思います。その頃、何かで中森明夫本人の姿を見て「何、このカッコ悪いダサい人。こんな人があんな話書いてるの!」と思ってよけいに腹が立つようになりました。ひどい言い様ですが、なにぶん子供の言うことですから許してくださいね。

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