横浜銀蝿「中森明菜ちゃん、ピンク・レディーさん、三原じゅん子さん…」今だから話せる80年代秘話 (2/8ページ)

日刊大衆

嵐 俺は、サウンド面ではダウン・タウン・ブギウギ・バンドを意識していたけど、詞の世界は吉田拓郎さん。拓郎さんの詞って温かくて好きなんだ。

TAKU ビートルズとキャロルだね、やっぱり。

Johnny 最初は、キャロル・キングやカーリー・サイモンのようなアメリカン・ポップスが好きでしたが、あるとき、『リブ・ヤング』に出ているキャロルを見て、ひっくり返った。こんなカッコいいバンドが日本にいるのかと。キャロルの影響は大きいね。

TAKU 矢沢さんに関して言えば、俺は高校生のとき、『成りあがり』を読んで、アンダーラインを引いていたぐらい好きでした。プロになってから、矢沢さんに手紙を書いたもん。ずっと憧れていて、おかげさまで今、矢沢さんと同じベースを弾いています、って。

翔 矢沢さんはいまだに憧れの人。音楽ではタイマンを張りたいから、永ちゃんには負けねえぞ! って気持だけど、エンタテインメントとしてみたら、あの年であのカッコよさを維持しているロックンローラーって、いないよね。

――80年9月にデビューした横浜銀蝿は、年が明けて81年、2曲目の『ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)』が爆発的なヒットとなり、ブレイクを果たす。彼らがテレビの歌番組に出演するようになったのも、この頃だ。

Johnny『ツッパリ〜』をリリースしてすぐ、『夜のヒットスタジオ』に出演したら、翌日、レコード会社からバックオーダー(レコード店の注文)が4桁になったと聞かされたんです。そのあと、『ザ・ベストテン』の〈もうすぐベストテン〉のコーナーに出たら、その翌日は5桁になっていた。

TAKU テレビに出るって、すごい効果があると思ったね。俺たち基本は出たがりだから、テレビで歌うのは全然抵抗なかった。

翔 あの頃、フルで歌えなきゃテレビに出ませんっていうバンドが多かった中、1コーラスでもいいから出たがってるんだもん。そもそも3分もない短い曲ばっかりだし(笑)。

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