横浜銀蝿「中森明菜ちゃん、ピンク・レディーさん、三原じゅん子さん…」今だから話せる80年代秘話 (5/8ページ)
そんないかつい奴らもいたし、後ろの席では真面目な子たちも楽しんでくれていた。だけど1年目は名前とイメージが先行しているから大変だった。たとえば静岡でライブをやると、県境に入った途端、静岡県警のパトカーが俺たちのバスにつくんですよ。補導員の先生たちも会場の周辺にウロウロしていたり。
TAKU それで対話集会が生まれたんだよね。
翔 対話集会はねえ(笑)。俺はお客さんのヤジとかを拾うのが好きで、あるとき、高校生ぐらいの男の子が「どうせ俺、明日から停学だし」みたいなことを言い出して。俺も「何それ? 銀蝿のライブ行くと停学なの?」か聞いて。スタッフもその高校生にマイクを渡して、コンサートを中断して、そいつの話を聞いてやったの。それがきっかけ。
嵐 俺も事務所の社長も、面白いから毎回やろうよ!って。それが噂になって、雑誌にも載り、対話集会って言葉も生まれた。
翔 それ以降は何でもお悩み相談室になってさ(笑)。
TAKU 最初は15分ぐらいだったのが、最後のほうは45分ぐらいやってたよね。傍から見ていると、後半は翔くんのしゃべりもだんだんこなれてきて、金八先生みたいになっていった(笑)。
翔 一番困ったのは、彼氏ができないけどどうしたらいいかとか、ノーマルな普通の悩みだよね。“まあ、時期が来れば”とか適当なことを言って(笑)。そうやって人気者にはなったけど、その実、一番女の子にモテたのは……。
嵐 Johnnyだよね!
Johnny いや、唯一ヒゲを生やしていなかったからだよ。俺はティーン担当で、大人の女性陣はTAKUに行っていた。
嵐 俺は小学生ばっかりだったな(笑)
翔 でも、バレンタインデーになると、事務所にチョコレートがトラックで何台も来ましたよ。
嵐 しかもJohnnyは律儀に全部、そのチョコを食べていたもんな。
翔 でも、そうやってジャニーズ事務所みたいに、バレンタインデーにトラックが横づけになるでしょ。それをメンバーごとに分けるんだけど、当然Johnnyがすごく多い。