横浜銀蝿「中森明菜ちゃん、ピンク・レディーさん、三原じゅん子さん…」今だから話せる80年代秘話 (6/8ページ)

日刊大衆

だけど、思ったより嵐さんも多いな?  と思っていると「横浜銀蝿さまへ」って来てるのも全部、自分のところに持ってっちゃったんですよ。

嵐  本当の二番手は俺だったんだよ!(笑)。

――横浜銀蝿は、紅麗威甦(ぐりいす)や嶋大輔といった後輩たちや、アイドルの岩井小百合をデビューさせるなど、弟分、妹分と呼ばれるアーティストを次々と世に送り出していった。彼らは“銀蝿一家”と総称されていたが、この発想はどこから来たのだろうか。

嵐  銀蝿を追っかけてくる奴らが多くて、彼らは俺たちみたいになりたいと思っているわけ。だったら良さそうな奴らを集めてバンド組ませよう、という発想から始まっているんですよ。

翔  今のEXILEがやっていることと一緒だね。

嵐  それで杉本哲太を中心に紅麗威甦を組ませたり。嶋大輔はライブでスカウトした。俺は背が低いから、デカい奴に憧れるところがあって、哲太も大輔も、その後に入った矢吹薫もみんな180センチ以上あったから、それだけでOK。

TAKU  岩井小百合ちゃんをマスコット・ガールにしたり。

翔  ユタカプロも、銀蝿が入る前はアイドルグループを扱っていた事務所なんです。だから俺たちが入ったとき、社長はおかしくなったんじゃないかと言われた(笑)。あまりにも毛色が違うから。むしろ小百合ちゃんのプロモーションは、お手の物だったよね。

■ツッパリと半グレの違いは?

――横浜銀蝿の時代はツッパリの全盛期。その後、ヤンキーなどと名称は変わり、今では“半グレ”なる輩も出てきている。メンバーたちにツッパリと半グレとの違いは?  ツッパリとは何か?  その哲学を聞いてみた。

Johnny  俺たちは、昔から不良少年には憧れたけど、非行少年にはなりたくなかったから。人に対する最低限のルールは守ってきた。そこが違うところかな。

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