源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【一】 (4/8ページ)

Japaaan

生年不詳)、姉の北条政子(保元二1157年生まれ)と共に成長しました。

姉・政子と父・時政に挟まれて、存在感はイマイチだった?(イメージ)

※後に北条五郎時連(ごろうときつら。安元元1175年生まれ)、北条政範(まさのり。文治五1189年)、阿波局(あわのつぼね。生年不詳)、北条時子(ときこ。生年不詳)らが生まれていますが、政範以下は継母(牧の方)の子です。

次男である義時は北条家を継がず、はじめ江間小四郎(えま こしろう)と称します。江間とは田方郡にある地名で、そこを所領として与えられ、また四郎(時政)の子であるため、頭に「小」をつけたものと考えられます。

※ただし説明の便宜上、原則的に「北条義時」で統一します。

幼少期についてはあまり詳しい記録がないものの、義時が15~16歳のころ(治承元1177年~同二1178年)、姉の政子が蛭島(ひるがしま。蛭ヶ島、蛭ヶ小島とも。

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