源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【一】 (7/8ページ)
しかし、これで「やれやれ」とは行かず、それまで平治の乱(平時元1160年)以来、およそ20年の雌伏を強いられてきた源氏の決起を懸念した清盛によって、叛乱の芽を摘み取っておくよう、各地の源氏を討伐するよう命令が下ります。
『平時物語絵巻』より、敗れ去った頼朝の父・源義朝たち。息子も同じ末路を辿るのでしょうか……?
もちろん頼朝も討伐対象としてリストアップされており、その姻族である北条家も、他人事ではすまされません。
「こんな事なら、たとえ政子を殺してでも絶縁しておけば……」
「父上!」
殺せるものなら殺してみよ……そう言わんばかりの政子にピシャリと叱られ、時政は宗時、義時と三人で善後策を協議します。
「やはり、伊東殿と合力の上で佐殿を討ち果たし、その首級(しるし)を京へ送るしか……」
「父上。平素さんざん仲良くしておいて、いざ都合が悪くなったら裏切るような卑怯の振る舞いに及べば、仮令(たとい)その場の命は助かっても、北条一族を笑わぬ者はおりますまい」
「左様。死のうは一定(いちじょう)、古来『自反而縮雖千萬人吾往矣(自らを省みてなおくんば、千万人といえども我ゆかん)』と申します。