源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】 (7/8ページ)
しかしこのまま亀の前を引き渡そうものなら、何をされるか分かったもんじゃない……広綱は亀の前を逃がすと共に、自分の身も危ないと姿を消してしまいます。
「おのれ、政子め!」
政子の差し金による襲撃事件を知った頼朝は逆ギレ、とりあえず宗親を呼び出しました。
(宗親は舅・時政の舅だから、自分にとっては義理の祖父に当たり、手を出しにくいが……かまうものか!)
完全に逆上していたものの、政子を直接責めることは出来なかったため、とりあえず宗親の髻(もとどり。結髪)を切り捨てるという暴挙に出ます。
この時代、烏帽子が外れて髻が人前に晒されるだけでも非常に恥とされたのに、さらに切り捨てるとは、死にもまさる屈辱でした。
奉公は実に難しい……何はともあれ一件落着「おのれ……この怨み、晴らさでおくべきか!」
髻を切り捨てられた宗親は恥辱のあまりその場から逐電、そのまま行方をくらましてしまいました。
「あぁ……あなたは父上がかような仕打ちを受けても、泣き寝入りなさるおつもりですか!」
牧の方から突き上げられて、時政は頭を抱えてしまいます。まったく佐殿め、こっちの面子も考えず……。
「そもそも、佐殿なんて元をただせば流罪人。それが今日あるはあなたのお引き立てあってこそ……にも関わらずこの仕打ち……もはや堪忍なりませぬ!」
義父上はもちろんお気の毒としても、若い後妻の前で恥をかかせおって……そういうつもりなら、こっちにも考えがある……という事で、時政たちは一族をまとめて鎌倉を去り、伊豆国へと帰ってしまいました。