源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】 (1/8ページ)

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源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】

前回のあらすじ

時は平安末期の治承四1180年、源頼朝(みなもとの よりとも)と共に平家討伐の兵を挙げた北条義時(ほうじょう よしとき)は、苦境を乗り越えて勢力を築き上げ、富士川の合戦では平維盛(たいらの これもり)率いる軍勢の撃退に成功します。

勝利の勢いで一気に京都へ進撃したかった頼朝に対して、朝廷と距離をおいた武士の別天地を夢見る御家人たちは「坂東の勢力基盤を固めるべき」と鎌倉への帰還を促します。

その意見に従った頼朝の決定が、後に「武士の世」を築く上で重要なターニングポイントとなるのでした。

前回の記事

源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【六】

鎌倉に凱旋した頼朝、宿敵・大庭景親を処刑

さて、晴れて鎌倉に凱旋した義時たち一行の前に、かつて石橋山の合戦(8月23日)でさんざんに頼朝を苦しめた強敵・大庭平三郎景親(おおば へいざぶろう かげちか)の姿がありました。

石橋山で頼朝たちを取り逃がした後、あれよあれよと言う間に膨れ上がった大軍になすすべなく、山岳部に立て籠もったものの10月23日、ついに頼朝の軍門へ降ったのです。

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