源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【七】 (4/8ページ)
よくわからないけど褒められた!
そんな事もありましたが、それまで敵対していたほとんどの者は赦免されて頼朝の御家人となり、義時や父・北条時政(ときまさ)など挙兵当初から従っていた者については、大いに褒賞されました。
「流人の身であった佐殿が、ここまで立派になられようとは……」
「さすがは姉上(頼朝の正室・北条政子)の見込んだ男、と言ったところでしょうか」
「あの時は本当に肝を冷やしたが……ま、結果オーライかのぅ」
頼朝の「身内」として苦楽を共にしたことで信頼を勝ち取った北条一族は、頼朝から重用されて家子(いえのこ)に取り立てられます。
家子とは門葉(もんよう。義経など、源氏の血縁者)とその他の御家人との中間に位置する「特別な御家人」と言った存在で、中でも義時は「家子の專一」と呼ばれるほど寵愛を受けていたようです。
さて、常陸国(現:茨城県)の佐竹(さたけ)氏らを倒して坂東に勢力基盤を固めつつあった寿永元1182年11月。義時はいきなり頼朝に呼び出されます。