もうひとつのキリスト教 ギリシャ正教の歴史や西方教会との違い (1/4ページ)
日本においてキリスト教といえばローマ・カトリックと、そこから分かれたプロテスタント諸派のことである。しかし、東ヨーロッパを中心に発展してきた東方正教会(オーソドックス)を知る日本人は多くはない。東方正教会いわゆる「ギリシャ正教」をいくつかのトピックに絞って概観したい。
■ギリシャ正教の歴史1:東西に分裂したローマ帝国
ローマ帝国はテオドシウス帝(347〜395)没後の395年東西に分裂し、キリスト教会も東西に分かれることになった。西ローマ帝国は短期間に滅亡するが(皇帝追放476年)、その後の西欧世界では西方教会=ローマ・カトリックの教皇権が拡大し、東方教会は東ローマ帝国=ビザンティン帝国と共に発展していく。それでもキリスト教自体は基本的にはひとつであった。
■ギリシャ正教の歴史2:東西教会も分裂
キリスト教の本拠地はローマ、コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス。現代のイスタンブール)、アレクサンドリア、アンティオケ、エルサレムの5大総主教区があり、ローマ以外の4区は東方教会に属する。中でもコンスタンティノープルはローマと並ぶ格式があり、現代においてもコンスタンティノープル大主教は東方教会の代表格として認知されている。その大主教とローマ教皇の対立、第4回十字軍によるコンスタンティノープル征服、三位一体をめぐる論争(聖霊発出論争)などの諸原因により、1054年東西教会は完全に分裂した。
■ギリシャ正教の歴史3:弱体化した東方教会はロシアに拠点をうつした
時代と共にビザンティン帝国は徐々に弱体化し、コンスタンティノープルは第4回十字軍に占領され東西分裂は決定的となった。そして1453年、ビザンティン帝国はオスマン帝国に滅ぼされた。東方教会の中心はロシアに移り「ロシア正教会」として現代に至る。東方教会はローマ・カトリックのようにローマ皇帝の下に一本化しているわけではなく、各国に正教会が存在しそれぞれ独立している。日本には日本正教会がありロシア正教会とのつながりが深い。
■西方教会との違い1:呼び方や聖職者名、十字の切り方が異なる
東方教会ではキリスト教本来のギリシャ語を使用することから「ギリシャ正教」と呼ばれるようになった。