前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その3】 (5/10ページ)

Japaaan

しかし、それ以降は終わりの見えない戦乱になることは必至でしょう。

もし、上様がおやりになれとおっしゃるなら、我らは一死をかけてやりますぜ。お覚悟のほどは、いかがか。(『勝海舟上書』)

勝の半ば脅迫ともとれる提案を慶喜は否決した。その上で、2月21日幕臣一同に不戦を徹底する由の沙汰書を下した。

慶喜の行動は、たとえ自分と幕府を犠牲にしても、あくまで日本の将来を深く考えてのものであった。慶喜がいたからこそ、明治維新は成ったのである。

このような評価は、現在放映中の大河ドラマ『青天を衝け!』の主人公・渋沢栄一が編纂した『徳川慶喜公伝』によりところも大きいかもしれない。

明治に入り、長らく謹慎して表に現れなかった慶喜に代わり、明治維新を創成した最大の功労者は「まごうことなく徳川慶喜である」ということを世に広めようとしたのだ。

慶喜の孫にあたる榊原喜佐子は後年以下のように語っている。

おじじ様は天子様に政治をお返しあそばれたのです。

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