前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その3】 (8/10ページ)
慶喜を将軍職に推しながら、その人物像を厳しく評した松平春嶽。(写真:Wikipedia)
「禁門の変」の折、死に物狂いで御所に攻めかかる長州軍を相手に、御所を死守した慶喜はどこへ行ったのか。
銃弾が激しく飛び交う最前線で、文字通り長州兵と切り結んだ慶喜は、本当に小心で臆病者だったのか。
時流が自分に向いているときは強いが、一旦その流れが逆流になると、とたんに弱くなってしまうのだろうか。
目の前に迫る維新政府軍も怖い。さらに、徹底抗戦の上に万が一敗れたら、確実に死罪は免れない。事実、江戸東帰後に、和宮が慶喜の助命嘆願をとりなした。
これに対し、大久保一蔵(利通)は、はっきりと突き放している。
和宮にとりなしを依頼するなど、あほらしいことだ。
朝敵として親征まで決まっているというのに、謹慎くらいで謝罪とするなど愚弄するのも甚だしい。(『大久保利通文書』)
抗戦か、恭順かと迷っているうちに、恐怖感がどんどん押し寄せてくる。