前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その3】 (10/10ページ)

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しかし、反面、優柔不断な部分も併せ持っていた……という印象もぬぐい切れない。

歴史とは面白いもので、大きな転換期にこのような人物にその判断を委ねたのだ。

その後の歴史を紐解いてみると、

明治維新政府は、富国強兵・殖産興業をスローガンに帝国主義の道をひた走った。その中心は、薩摩・長州の2藩による藩閥政治、すなわち政治独占形態だった。

日本陸軍の父と呼ばれ、総理大臣を2度も務めた長州出身の山縣有朋。伊藤博文と並ぶ藩閥の巨頭。(写真:Wikipedia)

もちろん、そこには慶喜が目指した挙国一致の政治体制は微塵もなかった

そうなることを賢明な慶喜は見抜くことができなかったのか、それとも、ここでも逃げを打ったのか、それは慶喜だけが知ることだろう。

3回にわたり、お読みいただきありがとうございました。

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