徳川亡き後「第4の幕府」を狙った?幕末の薩摩藩主・島津忠義の野望と英断 (4/7ページ)
※参考:鎌倉にある忠久の墓と、島津氏の主張
一体どういうこと?源頼朝のお墓になぜか刻まれた薩摩藩主・島津氏の家紋「轡十文字」の謎「徳川の次は、島津公の天下!海陸軍総督はその足がかり……いやまったくめでたい限りじゃ!」
そのような声が薩摩藩内に沸き起こり、また新政府軍の中でも少なからず島津家による尊皇攘夷の主導を支持する声があったとか。
薩摩一国の主から、ゆくゆくは天下の将軍に……そう聞いてまんざらでもなかったであろう茂久を諫めたのが、かの西郷隆盛(さいごう たかもり)でした。
西郷の説得で海陸軍総督を辞退「……何じゃ西郷、興ざめな」
「聞けば海陸軍総督をご拝命とか……今すぐご辞退下され」
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「何ゆえぞ。せっかく天朝(てんちょう。