徳川亡き後「第4の幕府」を狙った?幕末の薩摩藩主・島津忠義の野望と英断 (5/7ページ)
朝廷)様より兵馬の権を頂戴し、天下に号令できる又とない好機に……」
「古来『盛者必衰(しょうじゃひっすい)』と申します。今は勢いがある我ら薩摩も、驕りが過ぎれば周りはみな敵となり、やがては徳川のように滅び去るのです」
「ふむ」
「その薩摩の勢いにしても、我らが『天下の政道を御一新仕る』という大義を錦の御旗に掲げればこそ、諸藩も合力してくれるのです。それがただ『島津が天下を奪りたかっただけ』となれば、彼らはこぞって敵となり、戦国乱世に逆戻りでしょう」
「まぁ、そうなるやも知れぬな」
「これからは島津が勝った、徳川が負けたなどと小さく争っている場合ではなく、日本国が一丸となって力を合わせ、欧米列強と渡り合って行かねば立ち行かんのです」
「確かにのぅ」
「なれば、家中の者どもに要らぬ野心を呼び起こさせる肩書などはご辞退なされ、あくまで皆々と共に天朝様をご扶翼(ふよく。助け支える)仕るお立場を明確になされませ」
「……相分かった」
かくして茂久は将軍=幕府を開く夢を諦め、一日で海陸軍総督を辞退したものの、朝廷としても「武門の後ろ盾がなくては困る」と茂久を陸海軍務総督(りくかいぐんむそうとく)に推薦。