藩主なのに脱藩して戊辰戦争を闘い抜いた「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【前編】 (4/7ページ)
「我が志は、そなたらと共にある!」
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後に戦闘で負傷、片腕となっても最期まで闘い抜いた剣客・伊庭八郎。Wikipediaより
その覚悟に感動した忠崇は、藩主の立場にありながら自ら請西藩に対して脱藩届を提出。家臣70数名と共に遊撃隊へ入隊したと言うから驚きです。
この時の思いを、後に忠崇はこう述懐しています。
「請西を出る時は、藩主たる私自身脱藩届けを出したんですわ。これには領民に迷惑をかけまいとの気持だったわけだが、考えてみると『藩公自身の脱藩という例はまずありますまいなあ』と笑われました」
※林勲 編『上総国請西藩主一文字大名林侯家関係資料集』より
忠崇は当時21歳、若気の至りと言えばこれ以上の至りもありませんが、何としてでも徳川家を守り抜きたいその一心で、地位も財産も捨てた潔い態度はなかなかの痛快事。
藩主の座は弟(従弟、甥など諸説あり)の林忠弘(ただひろ)に譲り、閏4月上旬、忠崇ら遊撃隊は房総半島を船出したのでした。