藩主なのに脱藩して戊辰戦争を闘い抜いた「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【前編】 (7/7ページ)

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「聞けば徳川家はすでに70万石の所領が安堵され、大名としての存続が決定している以上、なお抗戦を続けることが徳川家を守ることにつながるのか……?」

もはや「徳川家を守るため」という挙兵の目的は達せられたため、忠崇は新政府軍に対して降伏を決断。

「「「殿が左様のお気持ちであれば、我らもお供仕る」」」

「皆の者、これまでよう戦うてくれた……」

かくして明治元年(1868年)9月、忠崇は激戦を生き残った元請西藩士19名と共に新政府軍へと降伏。

およそ半年にわたる戦さの日々は終わりを告げたのですが、忠崇の人生には、また新たな苦闘が待ち受けているのでした。

【続く】

※参考文献:

河合敦『殿様は「明治」をどう生きたのか』扶桑社、2021年7月 中村彰彦『脱藩大名の戊辰戦争 上総請西藩主・林忠崇の生涯』中公新書、2000年9月

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