藩主なのに脱藩して戊辰戦争を闘い抜いた「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【前編】 (5/7ページ)
激闘に身を投じた半年間
さて、相模湾を渡って真鶴(現:神奈川県真鶴町)に上陸した遊撃隊の面々は小田原藩(現:小田原市)に協力を求めます。
「共に徳川家を代々扶翼し奉った譜代の忠臣同士、力を合わせて薩長に立ち向かいましょうぞ!」
しかし、小田原藩主の大久保忠礼(おおくぼ ただのり)は金銭や食糧を提供するのみで、加勢を出してはくれませんでした。
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「ふむ、致し方あるまい……しばらく様子を見ながら、粘り強く説得して参ろう」
遊撃隊は御殿場(現:静岡県御殿場市)に移動して陣を布くと、薩長新政府軍に追われた旧幕臣たちが続々と参集し、気づくと300名を超える一大勢力に成長します。
「作戦行動を効率的に展開するため、軍を四つに分けよう」
そこで、人見勝太郎が第一軍、伊庭八郎が第二軍、岡崎藩(現:愛知県岡崎市)を脱藩した元藩医・和多田貢(わただ みつぐ)が第三軍、そして忠崇は請西藩士を中心とした第四軍を率いるよう編成。