藩主なのに脱藩して戊辰戦争を闘い抜いた「最後の大名」林忠崇の人生が波乱万丈すぎ!【前編】 (6/7ページ)
およそ一ヶ月ほど形勢を窺っていたところ、慶応4年(1868年)5月15日に江戸の上野で彰義隊(しょうぎたい。旧幕府軍)と薩長軍が衝突。後世に言う上野戦争です。
「今が好機、我らも後れをとるまいぞ!」
遊撃隊のうち第一軍と第三軍が先走って説得すべきだった小田原藩と戦闘を始めてしまい、もはや止められぬと見て第二軍と忠崇ら第四軍も参戦。
5月26日、遊撃隊と小田原藩は箱根山崎で死闘を演じ、一時こそ優勢となりながら結局は惨敗を喫し、這々(ほうほう)の体で館山(現:千葉県館山市)まで逃げ帰りました。
「まだだ!同志らは奥州へ転進してなおも抵抗していると言う。我らも急ぎ参るのじゃ!」
旧幕府老中の安藤信正(あんどう のぶまさ)より要請を受けて会津藩の救援に向かい、苦境を闘い抜きながら仙台まで後退します。
「このままではジリ貧だ……一気に蝦夷地(現:北海道)まで退いて態勢を立て直し、薩長軍を迎え撃つべきではないか?」
旧幕府軍の中にそうした声が上がる中、忠崇はなぜか戦意を喪失。