変人扱いされながらも仏道の悟りを開いた曹洞宗の僧・桃水雲渓 (2/5ページ)
両親が浄土宗の熱心な信者だったことが影響したのか、幼い頃は仏像を遊び道具にして、決して手放そうとしない。それを心配した母親がいくらかの小銭を握らせ、他の遊びをするように促しても、小銭を地面に投げつけて、「銭(おあし)よりも仏像のほうが好きだ!」と言い残し、仏像を抱いたまま、家から飛び出してしまう。両親が仏壇の前でお経を唱えていると、一緒になって唱える。このように桃水は、周りの子どもたちが好むことには一切関心を示さない「変わり者」であったことから、一般社会で生きること、並びに商家の跡取りとしては不向きであるとして、7歳の時に肥前の曹洞宗の寺・圓應寺(えんおうじ、現・佐賀県武雄市)の圍巖宗鐵(いがんしゅうてつ)のもとに預けられ、剃髪した。
■独自にこだわった桃水
その後、同国島原(現・長崎県島原市)、肥後国川尻(現・熊本県熊本市)と、九州西部・有明海(ありあけかい)周辺の寺で修行を重ねていたが、桃水は「自分なり」そして「自分だけ」の「やり方」にこだわり続けていた。ある時は3日断食し、ある時は終夜、寺の中庭に立ってお経を唱え続けた。またある時は山奥に入って野宿し、何日も寺に戻らない。更には大きな川の沢の上などで、昼夜関係なく座禅を組み続けていた。そのような桃水に対し、寺内のみならず、近在の人々は褒めたり驚いたりするばかりでなく、悪口を言ったり、怪しんだりしていた。ただ師匠の圍巖は、桃水を「風癲漢(ふうてんかん、常軌を逸した行動、またはその人)」と呼びはしていたが、決して余計な口出しや叱責などは一切しなかったという。
■修行の旅に出た桃水
このように厳しい修行に熱心で、「やがて衆生(しゅじょう)の導師となる」という強い使命感を持った桃水にとって、「保守的」そして狭い「田舎の寺」の中にとどまり続けることは、強い苦痛となった。また、例えば、桃水が13歳の時、橋の上で葵の花を持って佇んでいたところ、日頃、どんぐり目でぼんやりした様子の桃水を馬鹿にしていた寺の檀家の1人が見つけ、「葵の花はどうして赤いのか?」と尋ねた。