知ってますか?「糸コンニャク」と「白滝」の違い。その由来と江戸時代に起きたコンニャク革命とは (3/5ページ)

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粉にすれば、生と比べた場合、同じ重量でも約10倍は濃縮した状態で長期間の保存ができます。また生のコンニャク芋を扱う機会も減りますし、丸ごとでは重いコンニャク芋も粉なら楽に運搬できます。

そして「糸コンニャク」「白滝」が誕生

それまでのコンニャクは、収穫後の短い期間に、収穫した場所の近隣のエリアでしか食べることができませんでした。しかしこの加工法によって、年間を通して全国各地どこでも食べられる食材へと変貌したのです。

この画期的な方法を編み出した功績を称えられて、藤右衛門は「中島」の姓を授かり、なんと茨城県久慈郡大子町には彼を祀った「蒟蒻神社」も建てられています。

蒟蒻神社(大子町観光協会ホームページより)

このようにコンニャクは革命的な変化を経て、庶民の食べ物として全国に普及していきました。1846(弘化3)年には、コンニャク料理の100のレシピが掲載された『蒟蒻百珍(コンニャクひゃくちん)』という料理本が出ているほどです。

そんな中で、コンニャクの加工品である「糸コンニャク」と「白滝」が誕生しました。

実は「糸コンニャク」は関西の呼び名で、「白滝」は関東での呼び名です。その呼び名の違いは、製造法に由来します。

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